子育て中の親を「迷惑」と感じてしまう社会の中で、誰が子どもを産みたくなると思ってるの?

目次

3. じゃあ、子どもを産まなかったら責められる?

「子持ち様」と言われるくらいなら、
いっそ子どもを産まない方が気楽なんじゃないか――
そんなふうに思う人も、きっと少なくないと思います。

だけど、実際に子どもを持たない人生を選んだ人に対しても、
また別のプレッシャーがのしかかってくるのが、この社会のしんどいところ。


「どうして子どもいないの?」という無意識の圧

30代後半、40代に差しかかると、
女性であれば誰しも一度はこう聞かれたことがあるかもしれません。

「お子さんは?」「まだ産まないの?」
「早くしないと手遅れになるよ」
「一人っ子じゃかわいそうだよ」
「孫の顔が見たいって親御さんも言ってるでしょ」

悪気のない一言が、グサリと刺さる。
なんなら、家族や友人、職場の人、通りすがりの誰かまで、
“子どもを持っているかどうか”で、勝手に人を判断してくる空気がある。

「子どもを持たない人生」って、
実はすごく考えて決めた選択かもしれないのに。
体の事情や、経済面、パートナーとの関係…
いろんな要素を乗り越えて、静かに“持たない”を選んだのかもしれないのに。

それでも、社会の空気はこう言う。

「なんで産まないの?」
「産めるのに、もったいないね」
「女としての幸せを逃してない?」

そんな言葉の数々が、
子どもを持たないという選択を“失敗”や“逃げ”のように見せかけてしまう。


産んでも責められる。産まなくても責められる。

ここが、本当に理不尽なところなんです。

子どもを産んだら、
→ 子持ち様って言われる。迷惑がられる。職場で気まずくなる。

子どもを産まなかったら、
→ 寂しい人扱いされる。女として欠けてると思われる。親不孝って言われる。

どっちを選んでも、誰かに何かを言われる。
“正解”がないのに、まるで「こうすべき」があるかのような空気。

それってもう、無理ゲーじゃない?

しかもこのプレッシャーは、女性にばかり強くかかることが多い。
社会全体がまだまだ「子ども=母親の責任」という古い価値観に引っ張られていて、
子どもがいる女性も、いない女性も、それぞれの立場で「足りてない」とされてしまう。


だから、どの選択も「正しい」と思える社会であってほしい

子どもを持つかどうかは、個人の人生の大きな選択のひとつ。
本当は誰にもジャッジされるものじゃないはず。

なのに、世間はそれを“正解か不正解か”で見たがる。

「子どもがいる=立派」でも
「いない=かわいそう」でもなく、
それぞれの人生がそれぞれに尊重される社会であってほしい。

子どもを持つことは、素晴らしいことだと思う。
でも持たないことも、同じくらい強く、立派な生き方だと思う。

誰もが「自分の生き方を選べる」って実感できること。
それが本当の意味での“自由”なんじゃないかなって思うんです。


プレッシャーから解放されることで、やっと未来を考えられる

社会からの無言のプレッシャーに縛られてるとき、
人は“未来”を前向きに描くことなんてできません。

子どもを産むかどうかなんて、
もっと穏やかに、前向きに、あたたかい気持ちで考えたいはずなのに。

今の社会は、“選ばせてくれない”ような空気が強すぎる。
自由を与えるふりをして、実はずっと監視されてる。

その息苦しさを変えていくには、
一人ひとりが「どんな選択も正しい」と思える感覚を持つこと。
そして、それを言葉や行動で伝えていくことが大切だと思います。


子どもを産んでも、産まなくても、誰かに責められるようなことじゃない。

生き方に“正解”なんてない。
だからこそ、どの道を選んでも安心できる社会が必要なのではないでしょうか?

4. 社会全体で「未来」を支えるという感覚

少子化が止まらない、というニュースをよく聞きます。
出生率は過去最低、子どもの数は年々減り続け、
「このままだと社会が成り立たなくなる」なんて、ちょっと怖い言葉もちらほら。

それなのに、子育てしている人に向けられる視線は冷たいまま。
「うるさい」「甘えてる」「こっちも大変なのに」
そんな声が大きくなる一方で、支える声はどこかにかき消されてしまっている。

これって、ちょっとおかしいと思いません?


子育ては「個人の問題」ではなく、社会の未来に直結している

どうして少子化がここまで深刻になっているのか。
その理由は色々あるけれど、
その中でも大きいのは、“社会が育児を自己責任にしている”という空気です。

  • 子どもを産むかどうかは個人の自由
  • 産んだなら、自分で育てるのが当たり前
  • 人に迷惑をかけるな

——確かに「自分で選んだ道」ではあるけれど、
その選択の責任をすべて個人に押し付けるのは、あまりに冷たいと思うんです。

だって、子どもは誰の未来にも関係してくる存在だから。

今子育てをしている人が頑張っているから、
数十年後、誰かの年金を支えてくれる若者が育つ。
医療、介護、インフラ、経済…すべては、次の世代が担っていくことになる。

子どもって、親のためだけにいるんじゃない。
社会全体の未来の“土台”になる存在なんです。

だからこそ、子育ては「社会全体で支えるもの」という感覚が必要なんだと思います。


「誰かが子どもを産んでくれるだろう」と思っていない?

たとえば、
「自分は子どもを持たないけど、社会に必要なことはやってるから関係ない」
「親になるのは自分の意思でしょ?だったら迷惑かけないで」
そんな風に思っている人もいるかもしれません。

でも、それって実はすごく他人任せな考え方ではないでしょうか?

少子化という社会全体の課題に対して、
「自分には関係ない」と思っているうちは、何も変わらない。
むしろ、ますます状況は悪化していきます。

大切なのは、「誰かがやってくれる」ではなく、
「私も社会の一員として関わっている」という意識を持つこと。

自分は産まないとしても、子育てしている人を支える側に回ることはできる。

たとえば……

  • 子ども連れに少し優しくする
  • 育児中の同僚に理解を示す
  • 子育て支援の制度に関心を持つ
  • 政治で子育て政策を重視する候補に投票する

そんな小さなことでも、
「社会全体で育てる感覚」を育てていく第一歩になると思うんです。


支えること=何かを失うことじゃない

よくある誤解のひとつが、
「子育て支援に税金を使うと、自分の生活が苦しくなる」
「働きやすさを親に譲ると、自分の負担が増える」という不安。

たしかに、短期的には損しているかのように感じる場面もあるかもしれません。

でも、長期的に見れば、支えることは社会全体にとっての「投資」です。

子どもが育って、立派な大人になって、未来の社会を回してくれる。
それは、親だけの恩恵じゃなくて、社会全体へのリターンなんです。

「今、少しの思いやりやサポートを渡すことで、自分たちの未来が守られる」

そう考えたら、支えることってむしろ「自分たちのため」でもあるんですよね。


社会全体が「味方」であることの大きさ

想像してみてください。

電車で赤ちゃんが泣いたとき、
「うるさいな」じゃなくて、
「元気に育ってるね」と微笑む人がいたら。

スーパーで子どもが走り回ったとき、
「しつけがなってない」じゃなくて、
「育児って本当に大変だよね」と共感する言葉があったら。

それだけで、親の心はふっと軽くなる。
「ここにいてもいいんだ」って思える。
そういう空気が、次の子どもを産もうっていう希望につながる。

社会全体が「敵」じゃなくて、「味方」になれるかどうか。
それが、この国の未来を変えるカギだと思うんです。


子育ては、個人の努力だけじゃどうにもならない。
社会の仕組みや空気が、そこにどう関われるかで、未来は大きく変わっていく。

誰かの子どもが、明日のあなたの隣にいるかもしれない。
そう思えたとき、世界はちょっと優しくなるのかもしれません。

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この記事を書いた人

ライター
恋愛系から社会問題まで、幅広い執筆経験あり。
声劇シナリオ・シチュエーションボイスなども得意。
アニメと演劇が好き。

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