子育て中の親を「迷惑」と感じてしまう社会の中で、誰が子どもを産みたくなると思ってるの?

「子持ち様」
随分前からSNSで見かけるようになったこの言葉に、モヤっとしたことがある人も多いのではないでしょうか。

子どもを育てる親に対して向けられる、冷たい皮肉。
でも、この言葉が当たり前になったとき、きっともう“未来”なんてやってこない。

子どもを産むこと、育てることが、
こんなにも気を使って、迷惑がられて、肩身が狭いものになってしまっている社会で——
どうして少子化が止まると思えるのか。

今回は、「子持ち様」という言葉から見える社会の姿と、
今、私たち一人ひとりができる優しさについて、考えてみたいと思います。


目次

1. 「子持ち様」という言葉に込められた皮肉と本音

「子持ち様」。
この言葉、見たことありますか?
SNSやネット掲示板、最近ではリアルな会話の中でもポロッと出てくることが増えてきました。

“子どもがいるからって、周りに甘えていいと思ってない?”
“育児を言い訳にして、特別扱いを求めてない?”

そんなニュアンスを込めて、
皮肉まじりに、そしてときに攻撃的に使われるのが「子持ち様」という言葉です。

もともとは、ある種の“理不尽な振る舞い”に対する批判から生まれた言葉なのかもしれません。
たとえば――

  • 電車でベビーカーを広げたまま、周りに配慮せず座席を確保する親
  • 飲食店で子どもが騒いでいても、注意をしない
  • 職場で子どもを理由に頻繁に早退・欠勤しても、周囲へのフォローがない

確かに、「これはちょっと…」という行動を目にすることもあると思います。
そういった一部のケースに対して、不満や不公平感を抱いた人が口にしたのが、最初の「子持ち様」だったのかもしれません。

でも、今ではどうでしょうか。

この言葉は、特定の振る舞いを指すのではなく、
“子どもを育てている人全体”に対する偏見や敵意を含んだレッテルとして使われるようになってしまっている。

たとえば、
・泣く赤ちゃんをあやしているだけで
・少しベビーカーで通路をふさいでしまっただけで
・保育園のお迎えで仕事を早めに切り上げただけで

そんな“ちょっとしたこと”に対しても、「子持ち様」なんて言葉が投げかけられる。
それって、かなり怖いことだと思うんです。

なぜなら、「何をしても文句を言われる」という空気が、
子どもを育てる人たちの心を静かに追い詰めていくから。


「不寛容な社会」の鏡としての言葉

言葉って、社会の空気を映し出す鏡のようなもの。
「子持ち様」という言葉が日常に出回るようになった背景には、
私たちの社会全体が“余裕をなくしている”ことも関係しているように思います。

コロナ禍、経済不安、物価高、仕事や人間関係のストレス。
日々の生活がギリギリな人が増える中で、
ほんの小さなことにもイライラしたり、誰かの行動に過敏になってしまったりする。

そんな中で、
「自分は我慢してるのに、なんであの人だけ…」
という“被害者意識”がじわじわと広がっていく。

そしてその矛先が、
弱い立場にいる親や子どもたちに向かってしまう。
理不尽だと感じながらも、「仕方ない」と受け入れてしまう人もいるかもしれない。

けれど、本当に「仕方ない」で片付けてしまっていいのでしょうか。


子育て=迷惑?という空気の怖さ

「子どもが泣くのは当たり前」
「親だって人間だし、完璧じゃない」
そんな当たり前のことが、当たり前に許されない。

「迷惑かけたらダメ」
「騒がれたらうるさい」
「休んだら甘えてる」

子どもを育てることが“罪”のように扱われる社会で、
果たして誰が、次の世代を産もうと思えるでしょうか。

もちろん、すべての親が完璧なわけではないし、
周囲への思いやりを持たない人も中にはいます。
でも、それは子育てに限った話ではありません。

マナーの問題と、育児そのものを“責める”ことは、まったく別の話。

「子持ち様」なんて言葉で、十把一絡げに親を批判することは、
社会全体で未来を否定しているようなものです。

2. 子育て中の親たちは「もう充分がんばってる」

「子持ち様」なんて言葉が出てくるとき、
まるで“子育てしている人は、何かを免除されて当然と思ってる”
そんなイメージがあるのかもしれません。

でも、現実はまったく逆です。
子育てしている人たちは、“特別扱いされたい”どころか、
むしろ「迷惑をかけないように」って、常に周囲に気を使って生きてます。

その気遣いは、想像以上です。


外出するだけで、神経をすり減らしてる

たとえば、赤ちゃんや小さな子どもを連れて外出するとき。
それはもう、ほとんど“ひと仕事”です。

出かける前に荷物を確認して、
おむつ、着替え、ミルク、おやつ…ひとつでも忘れたらパニックになる。

出かけた先では、
「もし泣き出したらどうしよう」
「周りに迷惑をかけたら申し訳ない」
「なるべく静かな場所にいよう」
そんなふうに、常に周りの目を気にして行動してる。

ベビーカーで電車に乗れば、
「邪魔にならないかな」「混んでる時間帯は避けよう」と思う。
子どもが声を上げれば、すぐに口元に手を当てて「静かにね」ってなだめる。

本当は、赤ちゃんが泣くのは自然なことなのに。
でも、その“自然なこと”が迷惑だと思われないように、親たちはがんばってる。


公共の場で、心の中はずっと「緊張モード」

カフェやレストラン、スーパー、病院、図書館。
どこに行くにしても、子連れの外出って「リラックス」とは真逆です。

「うちの子、今日は機嫌いいかな?」
「静かにできるかな?」
「お店の人に嫌な顔されないかな?」

…そんな心配が頭から離れない。

子どもが大きな声を出したら、すぐに謝る。
泣き止まなかったら、早めに席を立つ。
店の出入り口近くに座って、すぐに退店できるようにする。

それくらい、親たちは“気をつかってる”。
それでも、たまたま周囲にいた人が機嫌悪かったら
「子どもがうるさい」「迷惑」って、SNSで拡散されるかもしれない。

そんなリスクまで、常に抱えてる。


職場でも「申し訳なさ」でいっぱいになる

子育てと仕事を両立している親たちは、
職場でもまた、別の種類のプレッシャーを感じています。

子どもが熱を出せば、保育園から呼び出しが来て早退。
行事があれば、有休を取って参加。
急な休みで迷惑をかけてしまった…と、謝ってばかりの日々。

「本当にごめんなさい」
「いつもフォローありがとうございます」
「もう少ししたら落ち着くと思うんですけど…」

そんな言葉が、働く親たちの口ぐせみたいになってる。

もちろん、理解のある職場や同僚に恵まれてる人もいるけれど、
そうじゃない環境では、
「肩身が狭い」「申し訳なさが常につきまとう」という声が本当に多い。

「子どもが熱出て、また早退?」
「自分のことばかりで、周りのこと考えてないよね」

そんな風に言われたら、もう心が折れる。


それでも、がんばる理由は「誰かを守りたい」から

じゃあ、そんなにしんどいのに、
どうして親たちは、がんばれるのか。

答えはシンプルで、
「守るべき存在がいるから」なんだと思う。

子どもの笑顔が見たいから。
この子が健康に育ってくれるように、社会とつながっていてほしいから。
それだけを願って、毎日を踏ん張ってる。

理不尽な言葉や冷たい視線を浴びても、
たとえ泣きたくなっても、
「この子のために、もうちょっとがんばろう」って思ってる。


子育て中の親は、「甘えてる」どころか「耐えてる」

「子持ち様」なんて言葉を見かけるたびに思うのは、
それ、まったく現実を見てないよねってこと。

子育て中の親は、甘えてなんかいない。
むしろ、ものすごく我慢して、配慮して、耐えてる。

迷惑かけないように、申し訳ないと思われないように、
小さなことに気を配って、自分の時間を削って、
それでも「子どもが元気に育ってくれたら」って、がんばってる。

誰かが未来を育ててるって、そういうこと。
それは、もっと尊敬されるべきことなんじゃないかなって思います。

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この記事を書いた人

ライター
恋愛系から社会問題まで、幅広い執筆経験あり。
声劇シナリオ・シチュエーションボイスなども得意。
アニメと演劇が好き。

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